高速鉄道が発達しているヨーロッパでさえ10分、20分の遅れは日常である。それがアメリカに行くと1時間、2時間は平気で遅れる。私はこれまで、世界60ヵ国の鉄道を取材してきたが、その中でも極め付きの遅延がメキシコだった。なんと、11時間3分遅れたのだ。しかも驚くべきことに、途中で事故や障害に遭遇したわけではない。始発駅グアダラハラも定刻に発車した。だが、その後は車掌から何ら説明もなく、ただズルズルと遅れたのであった。幸い今日のメキシコで列車は遅れない。いや遅れようがない。長距離列車はこの5年ほどの間に、ことごとく廃止されてしまったからだ。
・・・急激な輸送需要の増加の下で、少ない車両を何回も往復させて、たくさんの貨物や人を運ぼうとすると、列車は定時運転をしなければならなくなる。また、ライバルの交通機関が現れると、鉄道事業者はサービス向上の観点から定時運転に向かわざるを得なくなるというわけだ。(77頁)
何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
わたしは、ここで日本の憲法の重要な問題を講話ふうに解明しようとした。講話ふうとは、教壇ふうの意味である。マックス・ウェーバーもいったように、教壇は科学者の語る場所であり、預言者の語る場所ではない。教壇ふうとは、科学的な態度で語ることである。(中略)
わたしは、30年あまり前の著書のはしがきで、次の言葉を引用した。Je n'impose rien, je ne propose rien, j'expose !(わたしは、何もおしつけず、何も提案しない。わたしはただ、解き示す。)これはまさに、ここにいう教壇の態度である。わたしは、imposerし、proposerすることの重要性をじゅうぶん認めるが、exposerすることも、それに劣らず重要だと考えるので、ここでは、もっぱら教壇ふうに語ることにした。(中略)
かんじんなのは、imposerないしproposerとexposerとをかたく区別し、とくに後者のうちに前者をしのびこませないことである。