淡々とつづる日記のようななにか
憲法と国際人権

お勧め本その4

陳天璽(チン・テンジ/CHEN Tien-shi)『無国籍』(新潮社、2005年)
ISBN4-10-474001-2
外国人問題から研究生活に入った。そのため、この本はタイトルを見たときにすぐに手にとってレジに向かっていた。
データの上ではその存在を知っていたはずの「無国籍者」。

憲法の教科書には、日本国憲法第22条第2項

何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。


の意味について、通説的見解として、新たな国籍を取ることなく日本の国籍を離脱する自由を含むものではない。現在の国際社会においては、無国籍になる自由はない、といった見解が解かれる。この通説的見解を妥当な見解であると考えるのは今も変わりがない。「国籍」による「日本国」との「紐帯」(むすびつき)を持たなくなったら、普通に日本で生まれ育った人はまずやっていけないと思うからだ。

とはいっても、こういった考えは、ある意味、よけいなおせっかい、である。みずから苦しい状態に身を投じようとする決断を下した人に、なぜわざわざ国家が「やめておきなさい」と説教しなければならないのか。そう考えると、故鵜飼信成(うかい・のぶしげ)氏による、憲法22条は無国籍になる自由も含む、という徹底した説に与したくなる。

本書は、みずから望んで無国籍になった人の話ではない。出生時に、著者の父親が無国籍を選択したのだ。日本と中華人民共和国の間に国交が回復したことをきっかけにしていた。

無国籍者になるということが人にどのような苦悩を与えるのか、それを非常に生々しく見せてくれる。

憲法の授業を受けていても、なかなか抽象的で・・・という人には是非読んで欲しい。

お勧め本その3

宮澤俊義『憲法講話』(岩波新書、1967年)

憲法の入門書としては定評ある一冊。
かなり昔の刊行物だが、全く古びていない(ちなみに手元にあるのは1993年第35刷)。

本書には有名な「はしがき」がある(強調は、原文では縦書きの傍点)。


わたしは、ここで日本の憲法の重要な問題を講話ふうに解明しようとした。講話ふうとは、教壇ふうの意味である。マックス・ウェーバーもいったように、教壇は科学者の語る場所であり、預言者の語る場所ではない。教壇ふうとは、科学的な態度で語ることである。(中略)

わたしは、30年あまり前の著書のはしがきで、次の言葉を引用した。Je n'impose rien, je ne propose rien, j'expose !(わたしは、何もおしつけず、何も提案しない。わたしはただ、解き示す。)これはまさに、ここにいう教壇の態度である。わたしは、imposerし、proposerすることの重要性をじゅうぶん認めるが、exposerすることも、それに劣らず重要だと考えるので、ここでは、もっぱら教壇ふうに語ることにした。(中略)

かんじんなのは、imposerないしproposerとexposerとをかたく区別し、とくに後者のうちに前者をしのびこませないことである。




最初に本書を読んだのは大学生のとき。この「はしがき」には感動した。

内容についてくだくだしく紹介はしない。非常に読みやすい文章で、今に至るまで、ここまでわかりやすい文章を書く法学者、憲法学者はそうはいない。

最後に収録されている「神々の共存」などはいろいろな意味で示唆に富む。

お勧め本その2

高田理惠子『グロテスクな教養』(ちくま新書、2005年)
ISBN4-480-06239-4

著者は桃山学院大学教授。

私が教養部で憲法や法学を講じているとき、やはり生徒の反応を見ていて気になるのは、どうせ単位のためだから、という消極的な姿勢である。もちろん、興味を持って聞いてくれる生徒は多数いるし、興味を持てる講義になるよう努力しているつもりである。けれども、どうせ無駄だ、という諦念には、やはり「ちょっとまった」といいたい。

大学で教養部あるいは教養学部がのこっているところは少ない。けれども専門職大学院がつぎつぎに設立され、社会科学系の学部教育が総教養化している現在、「教養」についてあらためて考えてみるのは大事だと思う。

グーグルで教養部と検索してみるとすぐに気づくのだが、教養部が明確に存在しているのは理系大学に多いようだ。これは以前から理系(このくくりが乱暴なのはわかっているがとりあえず話をわかりやすくするためにこの言葉を使う)では少なくとも大学院修士課程まで進むのが普通になっている現状では、学部教育はすでに教養化していることの反映であるかも知れぬ。

もちろんこれはきちんと調べた結果ではないが、大学で教養科目を受講する学生は「こんなものなんでわざわざ・・・」という感覚がある、というのはだいぶ前から言われてきたことであるし、だからこそ多くの大学で教養科目はあってもそれを教養学部ないし教養部として残すことをやめている大学が出てきているのであろう。

けれども知識としての教養ではなく、万事に雑学的興味を抱き、ある種の「大人」として備えるべき思考方法として「教養」を捉える立場からすれば、こういった近年の大学における状況は決して好ましいものとは思えない。

そこで本書である。

なぜ「教養無用論」が大学教育において唱えられるのか。

本書はこの負の側面が、現代社会においてどのように顕現しているのかをさまざまな側面から描き出している。

著者があとがきで

教養主義の負の側面をつい強調してしまうこともあった(230頁)


と述べているのは本書の性格を端的に示しているともいえる。
しかし、著者とともに

日本的教養のこの面をみないかぎり教養復権は不可能である(同前)

と考える私は、教養(教育)を不要であると考える人にこそこの本を読んでもらいたい。

ちくま新書が二冊続いたが、偶然である。
次回は憲法関連の岩波新書を紹介する予定。

お勧め本その1

長尾龍一『憲法問題入門』(ちくま新書、1997年)
ISBN4-480-05723-4

著者ははっきり言ってかなり率直な文を書くので、一読すると喝采する人もいれば反感を持つ人もいるだろう。けれども、一定の憲法に対する見方を持つ入門書の一つとして充分薦められる。
冒頭ではいきなりこんなたとえ話が出てくる。



乱暴者のJという男がCを殴ったり蹴ったりしている。Aが義侠心からCを助けようとすると、JはAにも殴りかかった。腕力のあるAはJをしたたか叩きのめして、降参させた。やじ馬たちは、「もっとやれ、二度と立ち上がれないようにしろ」とはやしたてたが、Aはそうはせず、自分の血に鎮静剤を混ぜて輸血した。Jはそれでおとなしくなり、怪我が癒ると、乱暴せずにまじめに働いて、財産を築いた。(8頁)




J、C、Aがどこの国なのかはすぐにわかるだろうが、それは本を読んでもらいたい。
こんな調子で、一見改憲を主張する本のように見えるかもしれないが、すぐにこんな発言が出てくるのである。



しかし独立を回復した日本が、国際的圧力の下で、いやいやながら憲法を維持したと考えるのは、必ずしも当たっていないであろう。占領終了後の日本で、改憲の自由をもった後も、日本国民は自発的に憲法を維持してきたと考えるべきであろう。第一、最大の外圧であるアメリカは、第九条に関してずっと改憲を望んでいたのだから。(13頁)




著者は法哲学者。著者の言葉を借りれば「法学の「観察者」」(201頁)である。
あくまで本書は憲法「問題」入門であって憲法入門ではない。その意味では一冊目に読む憲法の本としては適切ではないかもしれない。けれども普通の憲法の入門書を読んでなんか物足りないな、と思った人には是非読んでもらいたい。

国際人権法文献あんど有用URIその1

国際人権法文献その1
大沼保昭『国際法 はじめて学ぶ人のための』東信堂、2005年
阿部浩己他『テキストブック国際人権法(第2版)』日本評論社、2002年
尾崎久仁子『国際人権・刑事法概論』信山社、2004年
国際法学会『人権(日本と国際法の100年第4巻)』三省堂、2001年
高野雄一『国際社会における人権』岩波書店、1977年
寺谷広司『国際人権の逸脱不可能性』有斐閣、2003年

国際人権関連URI
国際連合
国際法委員会
国連人権高等弁務官事務所
EU
国際司法裁判所
欧州司法裁判所
ヨーロッパ人権裁判所
米州人権裁判所各種資料(ミネソタ大学)
常設仲裁裁判所
赤十字国際委員会

個人情報保護と情報公開

身近なところから憲法問題を考える際に、特に大阪産業大学の学生には確認して欲しいのが、
大東市ホームページ。情報公開条例や個人情報保護条例も見ることができます。実際に条文を見たうえで、憲法上あるいは行政法上どのような問題があるかを考えてみると、法的な思考方法が少しわかってくるかもしれません。

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大阪産業大学佐藤研究室までどうぞ。

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