淡々とつづる日記のようななにか
憲法と国際人権

お勧め本その2

高田理惠子『グロテスクな教養』(ちくま新書、2005年)
ISBN4-480-06239-4

著者は桃山学院大学教授。

私が教養部で憲法や法学を講じているとき、やはり生徒の反応を見ていて気になるのは、どうせ単位のためだから、という消極的な姿勢である。もちろん、興味を持って聞いてくれる生徒は多数いるし、興味を持てる講義になるよう努力しているつもりである。けれども、どうせ無駄だ、という諦念には、やはり「ちょっとまった」といいたい。

大学で教養部あるいは教養学部がのこっているところは少ない。けれども専門職大学院がつぎつぎに設立され、社会科学系の学部教育が総教養化している現在、「教養」についてあらためて考えてみるのは大事だと思う。

グーグルで教養部と検索してみるとすぐに気づくのだが、教養部が明確に存在しているのは理系大学に多いようだ。これは以前から理系(このくくりが乱暴なのはわかっているがとりあえず話をわかりやすくするためにこの言葉を使う)では少なくとも大学院修士課程まで進むのが普通になっている現状では、学部教育はすでに教養化していることの反映であるかも知れぬ。

もちろんこれはきちんと調べた結果ではないが、大学で教養科目を受講する学生は「こんなものなんでわざわざ・・・」という感覚がある、というのはだいぶ前から言われてきたことであるし、だからこそ多くの大学で教養科目はあってもそれを教養学部ないし教養部として残すことをやめている大学が出てきているのであろう。

けれども知識としての教養ではなく、万事に雑学的興味を抱き、ある種の「大人」として備えるべき思考方法として「教養」を捉える立場からすれば、こういった近年の大学における状況は決して好ましいものとは思えない。

そこで本書である。

なぜ「教養無用論」が大学教育において唱えられるのか。

本書はこの負の側面が、現代社会においてどのように顕現しているのかをさまざまな側面から描き出している。

著者があとがきで

教養主義の負の側面をつい強調してしまうこともあった(230頁)


と述べているのは本書の性格を端的に示しているともいえる。
しかし、著者とともに

日本的教養のこの面をみないかぎり教養復権は不可能である(同前)

と考える私は、教養(教育)を不要であると考える人にこそこの本を読んでもらいたい。

ちくま新書が二冊続いたが、偶然である。
次回は憲法関連の岩波新書を紹介する予定。

お勧め本その1

長尾龍一『憲法問題入門』(ちくま新書、1997年)
ISBN4-480-05723-4

著者ははっきり言ってかなり率直な文を書くので、一読すると喝采する人もいれば反感を持つ人もいるだろう。けれども、一定の憲法に対する見方を持つ入門書の一つとして充分薦められる。
冒頭ではいきなりこんなたとえ話が出てくる。



乱暴者のJという男がCを殴ったり蹴ったりしている。Aが義侠心からCを助けようとすると、JはAにも殴りかかった。腕力のあるAはJをしたたか叩きのめして、降参させた。やじ馬たちは、「もっとやれ、二度と立ち上がれないようにしろ」とはやしたてたが、Aはそうはせず、自分の血に鎮静剤を混ぜて輸血した。Jはそれでおとなしくなり、怪我が癒ると、乱暴せずにまじめに働いて、財産を築いた。(8頁)




J、C、Aがどこの国なのかはすぐにわかるだろうが、それは本を読んでもらいたい。
こんな調子で、一見改憲を主張する本のように見えるかもしれないが、すぐにこんな発言が出てくるのである。



しかし独立を回復した日本が、国際的圧力の下で、いやいやながら憲法を維持したと考えるのは、必ずしも当たっていないであろう。占領終了後の日本で、改憲の自由をもった後も、日本国民は自発的に憲法を維持してきたと考えるべきであろう。第一、最大の外圧であるアメリカは、第九条に関してずっと改憲を望んでいたのだから。(13頁)




著者は法哲学者。著者の言葉を借りれば「法学の「観察者」」(201頁)である。
あくまで本書は憲法「問題」入門であって憲法入門ではない。その意味では一冊目に読む憲法の本としては適切ではないかもしれない。けれども普通の憲法の入門書を読んでなんか物足りないな、と思った人には是非読んでもらいたい。

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大阪産業大学佐藤研究室までどうぞ。

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